カールステン・ニコライ展 パララックス

先日、千葉県市原市にある市原湖畔美術館に、カールステン・ニコライというドイツ人のミニマル系アーティストの展示を観に行った。この美術館は東京から電車を乗り継いで行くと2時間以上かかるのだが、東京駅から高速バスを利用すると、1時間ほどで最寄りバスターミナルまで着き、そこからはタクシーで5分ほどで美術館に着くことができる。公共交通機関ではおそらくこれが一番早いだろう。

なぜ、市原市という地方の小さな美術館でこの展示が開かれることになったのか分からないが、この作家は昔から好きだったので、多少、遠くても、どうしても観に行きたかった。とはいえ、今回はちょうど東京に行く予定があり、そのついでに、行ったのだが…。

この人の作品作りのアプローチは、とても科学的なもので、心電図のように規則的に波打つ線の映像や、雲の表面の凹凸をひたすら並べただけの映像、不規則な低周波の干渉で起こる、ぼやけたりちぎれたりする光の映像など、数学的な規則性や、ある物理法則の一部分をひたすら見せている。たとえば自然のなかで、水辺の波紋をずっと見ていたり、葉っぱが揺れる影を何となくずっと眺めていたりすることが、人にはあると思うが、そういう心地よい反復と、ろうそくのような少しの揺らぎがあって、無意識に引きつけられるものがある。

自然の映像などだと、情緒が発生してしまうので、邪魔だが、この人のは、ただの線だったり、白黒の明暗だったり、いかにも冷たそうな、感情を排した表現に徹しているのがとても良い。論理と感情は背反する要素と捉えられることが多いが、たとえば、科学者や研究者が、客観的な研究成果の発表をしているなかで、ふいに気がつくと美について語っている瞬間があるようなこともあり、それらは別物でなく、同様に想像力の産物なのだろうと思う。

寺田寅彦という物理学者の書いた本を読んだことがあるが、それは淡々とした文章で、こういうことがありました、そして次にこういうことがありました、それからこうなりました、こう思いました、という事実が記号のように静かに並んでいた。でもそれなのに確かな感傷があって、美しい余韻があった。今回、見たこれらの映像にも、同様の感傷があった。

展覧会を見ながら、確か…昔…小林秀雄?だったかが…詳しく覚えていないが、誰よりも豊かな想像力がないと研究者はできない、と書いていた文章を思い出していた。

ちなみに自分は文学や文学批評に詳しいわけでは全くない。こういう良い展示をみていると、今まで雑に読みかじった、もろもろのものが何となくつながって感じられる時がある。

(※これは、写真撮影が許可されている展示でした)

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