清原悦志:タイポグラフィに興味を持ったきっかけ 09

この、タイポグラフィの~シリーズ、なんとなく固い話が多くなるので、いったい誰が読んでいるのかという感じなのですが、、、自分では書いていて結構たのしいので、もう少し続けます。。

清原悦志のレイアウト

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思潮5号 1971夏 より

朗文堂では、緻密なエディトリアルデザインで知られる白井敬尚氏が講義を行った回が数回あったのだが、その中で、氏が参考として持ってきてくれていた70年代のとある雑誌があった。

それは「思潮」「牧神」といった文学・文学批評の雑誌で、内容は、このようなアカデミズムが力を持っていた時代特有と思われる、難解かつやや哲学的なテーマを扱った雑誌という感じだったが、パラパラとめくると、すぐにその際だった紙面のレイアウトに目を奪われた。

とにかく余白の取り方が独特で、大胆に下部が空白のまま残されていたり、ノンブル(ページ番号)が左上に2ページ分まとめて記載されていたり、何の図版もない文字だけのページなのに、絵画を見ているような造形的な美しさがあった。これは清原悦志というデザイナーの手によるレイアウトで、すでに亡くなられてしまったが、文字が主体の雑誌が多く発行されていた7,80年代に、この透明感と緊張感のある紙面設計で活躍していたデザイナーとのことだった。

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牧神12号 1978年 より

文字のレイアウトによる遊びで、紙面にリズムを出して飽きさせないようにするといった手法は、一般に雑誌などで行われていることだが、この人のレイアウトは、単に形としてレイアウトで遊んでいるという感じでなく、読み手が文章に引き付けられていくような、文字が、文章がとにかく美しく読みやすく見える感じがあった。

それがなぜなのか、一見して自分には理由が分からなかったのだが、「活字の正方形グリッド」を活かした設計になっていることが、このクリーンな印象を作っているひとつの要素だとのちに知った。

規律のある紙面設計

日本語のこうした文章用の書体は、縦組みでも横組みでも使えるように、「正方形」に収まるように作られているので、それを並べていくと、必然的に文字は規則正しく等間隔に並び(ベタ組みといわれる状態。大別するとベタ組とツメ組のふたつがあるが、どちらも利点と欠点がある。)、正方形のグリッド上に配置されていく。その正方形グリッドと、行間のスペースを、ひとつの単位として、文字ボックスの上下左右の余白もそれの倍数となるように調整していくと、紙面全体がひとつのリズムで統制されたものになる。その規則正しいリズム、構造をつくったうえで、余白の操作を入れているので、ただ形で遊んでいるだけで読みにくい紙面でなく、文章を引き立てる独特の透明感のある紙面が作れるのだと分かった。

そもそも本の判型すら、A5とかA4とか、そういう一般規格化されたものでなく、そのグリッドに従って、その規律に合うようなサイズに調整されている。

この清原悦志のやっていたデザイン会社の名前も、「株式会社 正方形」というらしく、この人の哲学が簡潔に表されていると思って、すごい名前だなと感心したことを覚えている。。

ちなみに清原悦志は、先述した北園克衛の主宰していたVOUという詩人のグループに所属しており、そこではoptical poemといった、言葉と視覚の新しい融合した形を模索する創作がなされており、そこで北園が行っていた、紙面と文字のバランスをどうとるかという実践から、かなりの影響を受けていたようだ。

紙面を、構造をもって設計していくというこういった手法は、当時、建築設計を学んでいた自分にとって、何か近しいものを感じ、とても腑に落ちるものがあり、これまでのもろもろの学びがリンクしていく感じがして、よりいっそうタイポグラフィやレイアウトに関心を持っていくようになった。。

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